スローラーナー

トマス・ピンチョンの「スローラーナー」を読んだ。とても楽しく。

 

実を言うと、高校の頃、ちくま文庫版を購入したものの、確か「ロウランド」まで読んでやめたのだ。「つまんねえ!」

 

それが齢40を超えて、ようやく楽しめるようになったようだ。

 

「スモールレイン」と「ロウランド」のあのミニマリズム。テロリストごっこをする少年たちをみずみずしく描いた「シークレット・インテグレーション」。スパイもの「アンダー・ザ・ローズ」だけは退屈だったが、それ以外はとても面白い。比較的わかりやすい小説群だし。

 

ピンチョンは前書きで、ほぼ全ての短編にダメ出しをしているのだが、それでも出版したのだから、何だかんだで悪く思ってないのだろう。

 

次はヴァインランドを読んでみようかな。

かぐや姫の物語

映像表現が美しい。筆で描かれたような描線に淡い色調。生き生きとした動き。アニメーション表現として新しく、斬新だと思う。

しかし、長い。

美しい映像表現の感動は30分ほどで見慣れ、薄れて行く。それを補完するほどの物語への没入感が自分には得られなかった。おそらく90分ほどの映画だったら、ちょうどよかったのかもしれない。しかし、2時間強。かなり飽きてくる。

おそらく自分が男性だからかもしれない。少女から大人の女性になり、自由が奪われていくことの葛藤・抵抗が、とても重要なテーマだということはわかる。今話題の「ハンドメイズ・テイル」とテーマ的に共通していると思うし、現代性はあるだろう。しかし、いかんせん物語が竹取物語をベースにしているから、すでに筋はわかっていて退屈だ。

 

やはり名作だからといって、自分の興味のないものに手を出すべきじゃないなと思う。

この世界の片隅に

映像が素晴らしい。書き込みがすごく、時代考証がしっかりなされているから、まるで戦中の広島に入り込んだかのような錯覚さえ覚える。こんなレベルのアニメは久しぶりに見た。

一方、ストーリーはやや平凡に思えた。戦争に蹂躙される一般市民という、これまで戦争を描いた物語の定石通りと言った感じだ。火垂るの墓のような、子供2人で戦争から逃避する、といった物語的なひねりはない。

戦争を追体験させるという目的なら成功の作品だ。しかし、戦争への新たな視点を提供する、というものではないように思う。

最初、主人公のすずがお使いに行った時に人さらいに会う。その人さらいは毛むくじゃらの化け物だ。リアリズムに突如入り込むフィクション。いわゆるマジックリアリズムだが、この手法はそれ以降、ほぼ出てこない。もしこれが全編を通して用いられたとすれば、傑作になったのではないか。

とはいえ、ハイレベルな映画であることは間違いない。

MASTERキートン

MASTERキートンを読む。
高校以来の再読なのだが、素晴らしい漫画だ。再読に耐えうる漫画であり、大人になってからでも楽しめる漫画。というか、いまの方がよっぽど良さがわかるのかもしれない。

高校以降、僕は小説ばかり読むようになった。なんだか漫画を読むことが子供っぽく思えてきたからだ。だから、素晴らしい小説をいくつも読んだが、それを経てからMASTERキートンを読み返しても、全く遜色がない。むしろ、現代日本文学よりもよっぽど素晴らしいと思える。

基本的に1話読み切りなのだが、どれも(まあ、全てではないのだが)読み終えた後、深い余韻が残る。いい作品の証拠である。

物語の構造としては、主人公のキートンが元SASであり、考古学者ということもあり、その知識を活かして難題を解決する、というのが軸にある。

例えば砂漠に研究者たちと砂漠のど真ん中で放置される、という名作回があるのだが、数時間で熱中症になりそうな状況で、キートンの経験をフルに活かし、サバイブする。そういう知らないことが書かれている驚きが面白い。

・・・のだが、それだけでは単なる面白いマンガで終わってしまう。MASTERキートンには、そこに人間のエゴや優しさ、要は人間ドラマが描かれているから良いのである。

小説を超えた、と書くのはステレオタイプでうんざりするが、まあ実際にそうで、やはり日本には小説が消えても漫画があるじゃないか、という気がする。

飲食店の咳

飲食店に入る。カウンターとテーブルだけの小さな店だ。

注文をし、スマホなどをいじって食事が出てくるのを待っていると、カウンター奥で、激しく咳き込む音がする。見ると、料理人から発せられる音だ。料理人はマスクもしていない。

こういう場面に遭遇するたび(それが良くあるのだが)店から出たくなる。なんと不衛生なことだろう。生野菜に風邪の菌がついていそうだし、それ以前にこの広くない空間に菌が舞っているだろう。それに、風邪になると味覚が鈍くなったり、歪んだりして、食べる料理も美味しくなさそうだ。

出て行きたい・・・!

しかし、である。自営業であるはずで、風邪の一つや二つで休んでいては生活が立ち行かなくなるのかもしれない。そんな咳くらいで非難する気持ちになる自分の心が狭いのかもしれない。

・・・といったことが頭の中でぐるぐると駆け巡る。

これが美容室の場合、もっと悲惨だ。

私の髪を切ってくれる美容師は、いい人なのだが、毎年冬場、必ず風邪をひく。そしてマスクをしない。髪を切りながら、至近距離で咳き込むのである。暖房の生暖かい空気の中で、至近距離で咳き込まれるこのホラー。

店を閉めろ、とは言わない。
せめて、マスクをしてくれ。

失われた時を求めて

 岩波から刊行中の「失われた時を求めて」を読んでいる。20世紀最高の文学と言われることも多いが、それは確かに本当だと思う。

 

 この小説は、まず少年の日々から始まる。コンブレーでの少年の日々。周囲の風景がどんなだったか、家族の者たちがどんなだったか。それが非常に解像度の高い描写で紡がれていく。それを読んでいると、自分の子供の頃の記憶が読み覚まされていく。自分が子供の時の家族はこうだった、夕焼けの色はあんなだったとか・・・。それがほろほろと呼び覚まされていく快楽がプルーストの小説にはある。

 

 プルーストを読む行為で、自分の感受性が高まっていく気がする。そんな力を持っている小説である。

 現在、最新訳では岩波文庫光文社古典新訳文庫が同時刊行中だが、ほぼペースを緩めず、また翻訳基準がプルーストの文章の語順・長さに沿ったものになっているから、岩波文庫版をおすすめする。